ニーチェによると、「善い/悪い」という言葉の本来の意味は、 騎士的/貴族的(日本なら武士的)見方で、 <力を持つ、常に創造的、生を楽しむ>という特徴を持つ、 自己肯定的な感情のことで、それが「善い」の本来の意味です。 神から遠ざかっているから「悪い」とされます。 逆に、惨めな者、貧しき者、力なき者、一般的に言えば、弱者たちは この世を捨てて、ただ神を求めるから善い。 つまり、権力者たちは悪い、それに比べると、弱者は善い。 (だから「善い」行為とは、「無私、自己否定、自己犠牲」といった キリスト教は、これをひっくり返した、とニーチェは言います。 マックス・ウェーバーが「パーリア(賤民)の宗教」と特徴づけたように、 キリスト教は、常に弱者たちの間に信者を広げて、力を拡大して来ました。 この世で富や力を持つ者は、この世にそこそこ満足しており、神から遠ざかっているから「悪い」とされます。 『ツァラトゥストラはこう語った 』 0:22 踊る星を生むことが出来るためには、人は自分のうちに混沌を 1:33 1:50 彼らは生命のわらにしがみつき、自分がまだ一本のわらにしがみついていること 2:07 善人も悪人も、すべての者が毒を飲むところ、それをわたしは国家と呼ぶ。善人も悪人も、すべてがおのれ自身を失うところ、それが国家である。すべての人間の緩慢なる自殺---それが「生きがい」と呼ばれるところ、それが国家である。 2:23 4:12 既に牧人さえなく、畜群だけ! 飼い主のいない、ひとつの蓄群! 誰もが平等を欲し、誰もが平等であることを望んでいる。 4:29 深い黄と熱い赤。わたしの趣味はそれを欲する。――わたしの趣味は、すべての色に血を混ぜるのだ。だが、おのれの家を白く上塗りする者たちは、白い上塗りの魂をさらけだしているのである。 5:18 一切の書かれたもののうち、私はただ、その人がその血をもって書かれたもののみを愛する。血をもって書け。君は、血が精神であることを知るだろう 5:37 5:55 ある者たちはミイラに惚れこみ、また別のある者たちは幽霊に惚れこむ。両者ともにいっさいの肉と血に敵意をもっている、――かれらはわたしの趣味に反する。わたしは血を愛する者だ。 6:30 6:47 孤独がなくなるところにネットがはじまる。そしてネットのはじまるところ、そこにまたインフルエンサーたちの喧騒と、毒あるアンチどものうなりがはじまる。 7:05 INCIPIT ZARATHUSTRA 8:32 きみが高みに登れば登るほど、妬みの目は、遠ざかる君を小さく見る。飛び抜けて高く駆け上がる者は、もっとも憎まれる者なのだ 8:42 夜はきた。すべての愛する者の歌は いまようやく目ざめる。私の魂もまた 愛する者の歌である。 9:02 少なくとも私の敵であれ! 友情を不器用にしか求められぬ者の真意ある言葉である。 9:12 見よ! 私は君達に末人を示そう。 『愛って何? 創造って何? 憧憬(あこがれ)って何? 星って何?』―こう末人は問い、まばたきをする。 そのとき大地は小さくなっている。その上を末人が飛び跳ねる。末人は全てのものを小さくする。この種族はのみのように根絶できない。末人は一番長く生きる。 『われわれは幸福を発明した』―こう末人たちは言い、まばたきをする。 彼らは生き難い土地を去った、温かさが必要だから。彼らはまだ隣人を愛しており、隣人に身体を擦りつける、温かさが必要だから。

ツァラトゥストラはこう語った